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第7話

Author: 狐狸
last update Last Updated: 2025-06-04 13:56:16

アイリスが「死者の国」へ生贄として嫁がされる──その衝撃的な報せは、羽を得た凶兆のように、瞬く間に陰鬱な王城の隅々まで広まっていった。

人々は囁き合い、ある者は安堵の表情を浮かべ、またある者は恐れと好奇の入り混じった視線を交わす。

その喧騒をよそに、昨日までみすぼらしい召使いの服をまとい、城の片隅で虐げられていたアイリスの境遇は、一夜にして劇的な変化を遂げた。

手のひらを返すように、彼女は「姫君」として扱われ始め、陽もろくに射さぬ物置同然の部屋から、無駄に広く、そして冷ややかに豪華な一室へと移された。

目の前には、これまで見たこともないほどに美しく、しかしどこか死装束を思わせる純白のドレスが、まるで「お前のためのものだ」と無言で主張するかのように用意されていた。

侍女たちが、ぎこちない手つきでアイリスの身の回りを世話しようとするが、その目には憐憫も敬意も浮かんでいない。

「……」

アイリスはその突然の厚遇に、一片の喜びも安らぎも感じなかった。

(わたしは「贈り物」)

冷え切った心で、彼女は全てを悟っていた。これは決して、父王や継母からの贖罪の念や、ましてや慈悲などでは断じてない。

ただ、死者の国へ捧げられる生贄が、あまりにみすぼらしくては先方への体面が保てぬという、ただそれだけのための、上辺だけの取り繕い。

これから赴くであろう、永遠の闇への最後の餞別として、彼らはこの哀れな「供物」を、できる限り見栄え良く飾り立てようとしているに過ぎないのだ。

その冷徹な事実に、アイリスはもはや涙すら浮かばなかった。

アイリスが冷え切った悟りの中に沈んでいた、まさにその時。

静寂をけたたましく切り裂いて、甲高い、絹を裂くような女の笑い声が部屋の外から響き渡り、次の瞬間には、何の遠慮もなく扉が乱暴に開け放たれた。

そこに現れたのは、やはりというべきか、継母の娘セリーナであった。数人の取り巻きである令嬢たちを引き連れ、まるで自分の庭を闊歩するかのように、彼女はアイリスの部屋へずかずかと踏み込んでくる。

「まぁ、アイリス!そのお姿!本物の……そうね、どこかの国の高貴な『生贄の姫君』のようだわ。その清らかな白がお似合い……とは、とてもじゃないけれど言えないけれど。その穢れた身には、不相応なほど眩しくて、見ているこちらの目が痛いわね?」

セリーナはわざとらしく
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